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アニメーションは楽しい。そんな、絵が動くことの楽しさを改めて感じさせてくれる作品だ。独特のキャラクターデザインは好みがわかれそうだが、この絵が画面いっぱいに動き回るとき、隅々までみなぎる命を感じる。作品のテーマとも相まって、このアニメーションは本当に楽しい。
物語は人魚のお姫様と人間のラブストーリーなのだが、近未来の上海を舞台にした情景は少し先の未来を思わせる多様性に満ちている。様々な文化的背景を持つ人々が同じ空間を共有して暮らす。おそらくこれから先の未来で、日本もそうならざるを得ないであろう。多様化した社会をうまく回していくには仕組みよりも先に個々の人々が互いを理解する必要がある。この作品はそれを、人間と人魚という、極端に違う背景を持った二人の歩み寄りという形で見せてくれる。「愛とはなにか」という普遍的なテーマに、ひるまず、照れず、真正面から挑んだ作品なのだ。
序盤に登場する、人類と人魚族が共存している世界の情景は素晴らしい。最初の一歩を踏み出す者が、やがて新たな世界の礎となる。その先に夢のような世界が広がる。これは多様性を受け入れて前進する新たな人類の創世記かもしれない。(映画ライター・ケン坊)
ケン坊がさらに語る!WEB限定おまけコラム
この記事には映画のネタバレが少々含まれているので、まだ映画を見ていない人はその点をご承知おきの上で読んでください。
人魚姫と人間が結婚する話なのだが、人間の男は幼い頃、生まれたばかりの人魚姫と出会っていて、その時、ずっと一緒にいると約束したのであった。どこかで聞いた話ではないか。そう。『崖の上のポニョ』である。あの作品は、主人公の宗介がラストで、ポニョとずっと一緒にいると約束して終幕となる。あれを初めて見たときから、まだ世間を知らない幼い宗介が、種族を越えて運命を左右するようなどえらい約束を極めて軽い調子でしてしまったことに衝撃を受け、周囲の大人がそれを止めないことに冷や冷やした。彼はあの後どうなってしまったのか。私は宗介があの物語の後、幸せでいてくれたらいいと本当に願った。でも、いろいろその後のことを想像してしまうと、本当に幸せになれるのだろうかと、不安ばかりが募った。
本作はポニョとはなんの関係もない。しかし、幼い頃に人魚と「ずっと一緒にいる」と約束した男性のところに、大人になった人魚姫が嫁入りしてくる、という話は、ポニョのその後を思わせる。そして、この物語を見終えた今、ポニョと宗介もこんな風に幸せになれたかもしれない、と思うことができた。『ChaO』を見て私の『崖の上のポニョ』はようやく着地できたのである。
本作の主人公、ステファンはごく普通の会社員として描かれる。少年のころまっすぐな思いと純粋な心を持っていた彼も、大人になり、社会に出てその仕組みの中で日々を暮らすうちに、いろいろな思いを失ってしまう。おそらくほとんどだれもがそうであろう。社会とは増えすぎた人間が折り合いをつけて生きていくために必要なものだが、そこで生きていくには思いや願いよりも様々な事情が優先される。その残酷な現実の前に、純粋な「愛」はズタズタにされてしまうのである。こうした現実の社会を思うとき、『崖の上のポニョ』の宗介のその後はきっと悪夢のようなことになるだろうと想像されるのである。
本作は幼い純粋な愛が招いたその後の顛末を、愛への回帰をもって描いている。ステファンとチャオは幸せな生活を勝ち取った。彼らの物語はハッピーエンドである。しかし、ステファンは社会を捨てて、社会のシステムから外れたところで生きていく決断をした。多様化を受け入れる社会とは、社会から逸脱したものとも折り合いをつけてやっていけるようなものである。この作品は現代風のメルヘンだが、描かれている世界は我々の未来にもつながっていて、ある種のSFとしても読み解くことができそうだ。