- ©2025「ババンババンバンバンパイア」製作委員会
©奥嶋ひろまさ(秋田書店)2022
音で聞くとわかるのに文字になると目が迷うタイトルだが、家族経営の銭湯に居候するバンパイアの話、と内容もだいぶ奇想天外だ。
傷つきさまよっていたところを幼い少年に救われ、彼の自宅である銭湯に居候している美しきバンパイア。高校生になった少年の青春、バンパイアの思惑、周囲に絡んでくるいずれ劣らぬ濃い人たちなどががんじがらめに絡まってハチャメチャなことになるコメディ作品である。バンパイアはある思惑に沿って少年の恋路を邪魔しようとするのだが、なにかことを起こせばすべてややこしい方向に展開する。そこにかねてからこのバンパイアを追っていたバンパイア・ハンターが登場したり、バンパイア・ハンターを次々に襲うバンパイアが登場したりし、想像を超えた物語に発展する。
主要人物にはそれぞれテーマ曲があり、登場時にどんな人物なのか自ら説明するような歌詞で歌ってくれる。キーワードがメロディに乗って異様なほど繰り返されるので脳裏にこびりつくようになっている。
先月紹介した「国宝」でまさに国宝級の芝居を見せた吉沢亮が、本作ではこの上ないほどばかばかしい役柄で、文字通り裸一貫、覚悟の芝居を見せているのも必見だ。(映画ライター・ケン坊)
ケン坊がさらに語る!WEB限定おまけコラム
この記事には映画のネタバレが少々含まれているので、まだ映画を見ていない人はその点をご承知おきの上で読んでください。
バンパイアの登場するラブコメ、と言えばイロモノ感が強い印象を受ける。たしかにそうした一面もあるのだが、この物語は意外と家族の物語であると感じる。いろいろな立場、思惑によって絡まり合う運命があり、敵味方に分かれて戦ったり、想い想われがややこしく絡まり合い、誤解や勘違いを伴って複雑なことになったり。そうしてなんとなくつながった人たちがいつの間にかともに行動するようになり、最終的に、少年のバースデーパーティで四畳半みたいな小さな居間にみんな集合している。まさに呉越同舟。そういう意味では、本作は『ハウルの動く城』みたいな物語なのである。いろいろ紆余曲折ありながら接触のあった人達がいつの間にかともに旅をする仲間になっている。本作は旅こそしないものの、銭湯という一つの空間で文字通り裸の付き合いをし、いつの間にかそこにいることが自然になっていく、ある種の家族の形を描いている。
ドタバタは底抜けにドタバタであり、キャラクターの設定は過剰でとにかく濃い。ばかばかしさに全振りしたみたいなギャグなのに、そこには敵味方も、人とバンパイアという種の違いも超えた絆がたしかに描かれている。その絆の生まれる場所として、「銭湯」という舞台もまた良い。バンパイアを居候させている銭湯のオヤジも、先代の爺さんも、みんな魅力的で、異物を異物として拒絶しないこの感覚は、古い日本家屋での暮らしときっと無関係ではあるまい。核家族化に伴う家屋の孤立化によって、ハウルの城としての銭湯も珍しくなり、こうした呉越同舟、一蓮托生的な人生の相乗りみたいな物語は、次第にフィクションの中にしか見られないものになりつつあるのかもしれない。