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ロートルおじさんが現役復帰し、血気盛んな若者と衝突しながらも生き様を見せつけて彼らの成長を促す。どういうわけか近年この種の物語が増えたように感じる。私自身がロートルおじさんに突入したからか、あるいはその辺の世代がエンターテイメント映画を消費するボリュームゾーンになったからか。
本作はまだ記憶に新しいおじさん活躍映画『トップガン マーヴェリック』の制作チームによる、と謳われているため、同作との共通点が目に付くが、むしろアニメーション作品の『カーズ』に近い印象を受ける。いずれも、時代遅れのロートルとなったおじさん世代が、最新の感覚を持つ血気盛んな若者たちに囲まれ、衝突しながらも経験と能力を見せつけることで導いていく、言わば世代交代を描いた物語である。
F1の後半戦の展開を描く物語であるため、レースシーンが複数回分ある。これが大変な臨場感で繰り広げられ、本作の大きな魅力になっているのだが、レースにあまり興味がない人には長く感じられるかもしれない。物語も少々都合が良すぎる印象も受けるが、F1というスポーツのエクストリームさを表現した映像作品としてある種の極みに達した作品と言えるだろう。(映画ライター・ケン坊)
ケン坊がさらに語る!WEB限定おまけコラム
この記事には映画のネタバレが少々含まれているので、まだ映画を見ていない人はその点をご承知おきの上で読んでください。
本作は『トップガン マーヴェリック』の監督による作品という宣伝がされているため、嫌でも比較してしまう。さながら本作は”陸のマーヴェリック”とでもなろうか。内容的にもまさに同じような話である。現役を退いていたかつての天才みたいな主人公が、血気盛んな若者を擁するチームへと復帰し、当初はただの老いぼれとして見下していた若者とチームメイト実力で黙らせ、彼らを導いていく。
この種のストーリーが近年増えているような印象を受ける。ちゃんと調査したわけではないので本当に増えているのか、あるいは単にそのような印象を受けているだけなのかはわからないが、最近目立っているように感じる。この手のもので最もよくできていたのは『カーズ3』で、一作目で血気盛んな若者の側だった主人公が、三作目では引退を迫られるベテラン側になっており、三作目で迎える結末も実によくできていた。一方で『トップガン マーヴェリック』や本作は、物語の最後の時点でもあくまで老練家の側に一日の長があるような描き方になっている。このストーリーの流れは、実は危うい。どんなに才能があろうと、能力が高かろうと、経験を積もうと、生きている限り人は老いる。未経験な若者よりも前にいる部分はあれど、やはり現役で張り合って勝てるような状況は続くまい。逆にそれが続くようでは、後進の育成に失敗していると言わざるを得ないだろう。
本作では終盤において、主人公に対してそのような選択肢ももたらされる。『カーズ3』のようなところへ着地する流れが用意されかかるのだが、主人公はそれを選ばない。これにより、ラストにおいても育てた若者ではなく、主人公自身が表彰台に上っている。物語としてそこへ着地させるために様々な布石がばらまかれているわけだが、あらゆるピースをその着地点のために配置した結果、少々予定調和的になりすぎているのである。
ロートルおじさん活躍記を否定するつもりはないのだが、私もロートルおじさん世代として、我々世代は老いを受け入れてからが本番だという気がする。この手のロートルおじさん活躍記がヒットし、同種の物語が量産される傾向は「いつまでも引退できないおじさん」を増やし、老練家の老害化を促進する懸念がある。おそらく本作の主要な作り手たちもこの辺の世代なのであろう。「まだまだ捨てたもんじゃない」と声高に言わねばならないとしたら既に潮時である。本作が「新進気鋭の若者」側の世代にどのように受け入れられるのか、という点に大いに興味がある。