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奇跡の映画だ。こんなにも凄みに満ちた作品が完成したこと自体に感動する。三時間もある上映時間が瞬く間に過ぎ去る。
本来世襲制である歌舞伎の世界を舞台に、血のつながらない部屋子と実子が同時に育てられる。良き友であり、ライバルでもある二人の成長とその先を描く物語だ。これだけでもいろいろな波乱の起きそうな話ではあるのだが、この作品において、ストーリーはもはや末節にすぎない。根幹は描かれる「芸」そのものにある。奇跡的な才能を持つ部屋子と大名跡の血を引くサラブレッド。二人が切磋琢磨することでその芸は極みへ向かって上り始める。
とんでもない才能を持つ歌舞伎役者を演じるというのはどういうものだろうか。こんな仕事を引き受けただけでも拍手を送りたいぐらいだが、特に主演の吉沢亮は、恐ろしいほどの演技を見せている。スクリーンに繰り広げられるのはある種の極みに達している美だ。随所に散りばめられた舞台のシーンはどれもが息をのむほどの仕上がりで、文字通り呼吸を忘れる。
梨園の物語としてリアリティがあるかと言えば疑問はある。しかしそんなことは一切気にならないほどに、この作品は見事だ。これほどの映画はそうそう作れまい。(映画ライター・ケン坊)
ケン坊がさらに語る!WEB限定おまけコラム
この記事には映画のネタバレが少々含まれているので、まだ映画を見ていない人はその点をご承知おきの上で読んでください。
渡辺謙演じる歌舞伎俳優が、極道の親を失った吉沢亮演じる主人公を引き取り、横浜流星演じる実子と二人揃って育てる、という物語である。世襲を敷く梨園にあってこのような話がどの程度現実味を持つのかはわからないが、外の血を入れることによって巻き起こる波乱は、フィクションとして興味深い。このような興味深いストーリーでありながら、この映画にとってそのストーリーはもはやどうでも良い。どちらが大名跡を襲名するのか、といった、容易に想像できるストーリー展開も一応あるのだが、襲名の行方がどうなるかも、それによって梨園がどうなるかも、映画の魅力にはいささかも寄与しない。この映画の魅力はすべて、劇中で演じられる歌舞伎の演目、その舞台のシーンに詰め込まれている。血筋の有無にかかわらず、たゆまぬ鍛錬を続けた二人の若者が、それぞれに磨いたその芸の極み。この映画は明らかにそれを見せることに注力していて、舞台のシーンにかけられている熱量が半端ではない。
主力のキャラクターたちが皆俳優であるため、この映画に出演している俳優は「舞台で演技をする俳優の演技をする」というメタ構造に取り込まれることになる。役を演じるのではなく、役柄が演技に取り組む様を表現しなければならない。そして、この映画に配された俳優たちは、それを非常に高いレベルで実現したのである。その結果、作中の芝居のシーンは恐るべき凄みを帯びることになった。本当に見ていて息が止まるのである。これほどの映画はちょっと見たことがない。
全編にわたってものすごい緊張感と至高の美が散りばめられていて心が震え続ける作品だが、終盤の人間国宝に指定される辺りは性急さが目立ち、芝居のシーンも、主役の緊張感も減るために蛇足感があった。タイトルからしてここまで描かねばならないという事情はあろうが、映画としてはそこへつながる道だけ見せて終わった方が良かったのではないかとも思う。