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動物たちの楽園、ズートピア。前作で活躍してバディとなったジュディとニックのコンビが、またもズートピアで起こる大事件に挑む。
ディズニーによるCGアニメーション作品である本作は、王道的な展開で主人公たちが絆を深めていく物語である。二作目にありがちな展開ではあるものの王道であるがゆえに強く響き、期待をまったく裏切らない、大人も子どもも楽しめる作品に仕上がっている。
「動物たちの楽園」と言ったとき、その動物にはどんな種類の動物が含まれるのだろう。あまり意識せずに、哺乳類中心の世界を思い描いてはいないだろうか。誰もが楽しく安全に暮らせる、というときの「誰もが」には誰が含まれているのだろう。そこからあぶれている人はいないだろうか。本作はそんな、現実の世界にもある偏りや、ある種の欺瞞のようなものに目を向けさせる。
コメディ部分は声を出して笑うほど楽しく、描いているテーマは深く、時に社会的メッセージまで含み、キャラクターたちの心の交流は深く温かい。映画好きならちょっとニヤっとしてしまうようなパロディシーンもある。この冬、ちょっと映画でも、と思ったらぜひ選んでほしい作品だ。(映画ライター・ケン坊)
ケン坊がさらに語る!WEB限定おまけコラム
この記事には映画のネタバレが少々含まれているので、まだ映画を見ていない人はその点をご承知おきの上で読んでください。
ズートピアは動物たちの楽園であるが、爬虫類がいない。果たして前作を見たときに、それに気づいた人はいただろうか。動物たちの、と聞いて無意識に哺乳類を思い浮かべてはいないだろうか。ズートピアに哺乳類や鳥類しかいなかったことに何の違和感も覚えなかったのではないだろうか。「ズートピアに蛇はいないはずだ」という予告編を見たとき、前作でそれに気づかなかった自分を知ることになった。
本作では、ズートピアはあらゆる動物たちが平和に暮らせる楽園ではなく、特定の動物が自分たちのテリトリーを広げるために作られた偏った世界であったことが暴かれる。このようなことは現実の世界、社会でも実際に起きている。「あらゆる」とか「すべての」という形容で語られるとき、必ずそこからあぶれる者たちがいる。多数派や力あるものをを「すべて」としてしまう社会では、常に対象外とされて黙殺される者たちが存在する。前作で描かれた楽園の裏にこのような歪みがあったことを、本作はそれに気づかなかった視聴者に突きつけてくる。
もともとズートピアの着想を得て気候区分を作る発明をしたのはある蛇の女性だった、ということが開かされる。それを山猫の一族が私欲のために奪い、蛇を始めとする爬虫類を悪として社会から抹殺した。蛇は追放され、爬虫類は一からげに悪しきものとされ、楽園の隅に追いやられて暮らしている。その最後の居場所すらも奪われようとしている状況が描かれる。我らがジュディとニックのコンビはこの真実を知り、いびつな楽園をあるべき姿に戻すべく奮闘するのである。
このようなヘビーなテーマを、随所に笑いを盛り込みながら子どもも楽しめる作品として仕上げているのはさすがディズニーと思わされる手腕だ。近年のディスニー作品は多様性を重く受け止めているようで、それによって物議を醸す作品も増えている気がするのだが、本作はそんな中にあってきれいにまとまっていると言える。ただし、きれいにまとまっているものは却って疑うべきであるという見方もある。ここにもまだ、きっと僕らの、もしかしたら作り手たちも、見逃しているものがあるのだろう。






















