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だいぶ前にアニメーションの作品で同タイトルのものがあり、それも見に行ったのだが、それと似たような内容の実写版といった印象の作品である。この作品には原作の絵本があり、以前のCGアニメのものも今回のものも基本的にその原作を踏襲している。ドラゴンと戦いながら暮らしているバイキングの物語なのだが、とても大切なメッセージが込められている。長い間敵同士として殺し合ってきたドラゴンとバイキング。争いは長期化し、当たり前になりすぎてしまっている。なぜ争わなければならないのか。相手が襲ってくるから。お互いがそのような理由で戦っている。
そんな中、バイキングの首領の息子であるヒックが、ドラゴンと交流を始めたことをきっかけに物語が大きく動いていく。相手を滅ぼすまで終わらないはずだった戦いは思いもよらない形に変化していく。
無知は恐れにつながり、恐れは暴力を生む。争いのきっかけは単に相手を知らないことにあったりする。知ることで恐れがなくなり、互いの求めているものがわかれば歩み寄ることもできる。相容れないはずのものが手を取り合えば、そこには新しい価値が生まれる。今、この作品を改めて世に問う意味が、確かにある。(映画ライター・ケン坊)
ケン坊がさらに語る!WEB限定おまけコラム
この記事には映画のネタバレが少々含まれているので、まだ映画を見ていない人はその点をご承知おきの上で読んでください。
タイトルを聞いて、だいぶ前の作品の続編かなと思ったのだが、予告編を見た感じだと内容は一作目と変わらない印象だった。かなり前に見た作品なので改めて調べてみたところ、2010年にCGアニメ作品として公開されている。これを見た記憶はあったのだが、たしか続編は日本で公開されなかったのではなかっただろうか。その事情もよくわからないのだが、それから十年以上が経ち、今回は実写作品として新たに制作されることになったわけだ。
予告を見た時点では、なぜ今さらこれをまた作るのだろうか、とも感じたのだが、見終えた今、今こそこの作品を改めて世に問わねばならない、という問題意識にとても共感できる。無知からくる恐怖が防衛と言う名の暴力を正当化する。身を守るための防衛はやがて暴走し、やられる前にやれ、という発想へと転化する。相手を滅ぼすことは究極的な防衛という大義名分を得て正当化される。被害者がいつの間にか加害者となり、やがてなぜ戦っているのかもわからないといった事態に及ぶ。流される必要のない血が大量に流れ、地獄のような世界が訪れる。歴史の中で何度も繰り返されているにもかかわらず、今なお、まったく同じことが起き続けている。
『ヒックとドラゴン』は、「知る」ということが大きな強さになることを描いている。主人公ヒックはドジな少年で、仲間の間でももっとも戦闘力が低い。しかしドラゴンと交流してドラゴンについて多くを知った彼は、ドラゴンと戦う実戦訓練で戦わずして相手を無力化し、圧倒的な成績を修める。肉体を鍛錬して強い戦士となった仲間たちを圧倒するのだ。彼の強さは「知る」を求めたところにある。ドラゴンは恐ろしい存在だが、恐ろしいのは知らないからでもある。よくわからないものは怖い。知ることで恐れがなくなり、恐れなければ武装する必要も、威嚇する必要もなくなり、そのようにして歩み寄ることで相手の譲歩も引き出すことができる。
勇猛なバイキング族において、ヒックは異端児であった。誰とも違う、普通ではない考え方をするユニークな存在。膠着した状況を打破するのはユニークな存在であり、しばしば常識はずれな行動である。この作品が問うているのは「知ろうとする勇気」である。先入観を捨てて知ろうとする。それはとても勇気のいることだが、なによりも最も大切なことなのかもしれない。