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内容のー部もしくは全部が変更されてる可能性もありますので、あらかじめご了承ください。
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- 趣味のゴルフは、「思い通りにいかないところが面白い」。酒好きだった祖父の気質は、叔父に受け継がれたそう。「北の富士が『夜の銀座の帝王』なら、祖父は『さんろくの帝王』でしたから」と笑います
祖父が留萌で開業した食堂が前身。大相撲に入門した父の兄・北の富士の部屋のちゃんこ鍋にほれこんだ祖父が、巡業に同行してその味を学びました。ホテルの洋食シェフだった父の代で、現在のスープが完成します。
店を継ぐことを意識したのは小学生のころ。お小遣いをもらいながら、皿洗いや食材の仕込みを手伝いました。子供のころ生活が苦しかった父は、食のありがたさが身に染みていて、食事のマナーには人一倍厳しい人でした。家業が客商売だったこともあり、あいさつや周りへの気配りも自然と身に着きました。親方として二横綱を育て上げた叔父さんもとても気配りのできる人で、それは竹澤家の血筋なのかもしれません。
100kgの鶏ガラをじっくり煮込んだスープは、先代のレシピを忠実に守っています。伝統のスープを使った新メニュー「牛もつ鍋」の開発や、冷凍保存のきしめんを本州の物産展で売り込むなど、新しいことにも挑戦しています。コロナで一時、来店客は減りましたが、お持ち帰りとネット注文で全国にファンが広がりました。
31歳で店を継いで厨房で父と一緒だった10年は、プレッシャーや気負いもありました。それでも、厳しかった父の教えが、日々の仕事の糧になっていると感謝しています。