悪と仮面のルール
©中村文則/講談社
©2017「悪と仮面のルール」製作委員会

なぜ、生きねばならないのか

 特殊な一族に生まれ、黒い運命を生きる主人公。その運命に抗い、自分の生を見出し、愛する人を守ることがはたしてできるのか、といった感じのお話。「〇〇家」というような話が登場する世界観や、「邪の家系」として悪を成すために育てられたという事情など、あまりに特異な小道具が散りばめてあり、現代劇でありながら全く現実味がない。暴力と狂気と純愛を一つの器に入れたような作品なのだが、この現実味の乏しさによって感情移入がしにくく、全編にわたって作品世界に入らずに一歩引いたところから眺めている、という印象を受けた。

 作品のテーマはシンプルでわかりやすいところにあり、劇中では会話の中に織り込んで訴えられている。なぜ生きなければならないのか、なぜ人を殺してはいけないのか。その根源的な問いに、少々異質なところにいる人物が答えを出す。すべての要素はこのテーマを語りきるための舞台として用意されている。ほとんどの要素がリアリティからかけ離れたところにあるのは、テーマを語るために必要なものを配したらこうなった、という一つの回答のようだ。

 この作品はストーリーを期待するのではなく、純文学を読むような感覚で見るのが良いのだと思う。

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この記事には映画のネタバレが少々含まれているので、まだ映画を見ていない人はその点をご承知おきの上で読んでください。

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 「邪」の家系に生まれ、悪を成すために育てられた主人公。彼はそれに抗い、愛するものを救うために自分の父を殺す。しかしこの行為によって父の悪を取り込んだかのように狂気に堕ちていく。いわばダークサイドに堕ちたのだ。そして愛するもののもとを離れ、名を変え、顔を変え、別人として運命に抗う道を選ぶ。

 タイトルに「仮面」というワードがあるため、この「顔を変えて別人として生きる」という要素が重要な意味を持っているはずだ。特に、この顔と名前はある死んだ実在の人物から取ったもので、偶然にも、その死んだ人物がある殺人の容疑者として刑事に追われている、という設定が登場する。サスペンス的にはここにとても面白そうなタネがあるわけだが、本作はそれを描く方向には行かない。

 「悪」の方も、特に「悪とは何か」といった方向へは行かず、悪も仮面もそれほど深入りしないという意思を持って描かれているかのようだ。こうしてタイトルから距離を置き、人物からも距離を置き、ストーリーも宙に浮いたような要素で塗り固め、かたくなに感情移入を拒む。

 ラスト、愛するものを脅かす存在を全て片付けたあと、主人公は涙を流しながら、身分を隠したまま愛する人と会話をする。本来ならこのシーンは大団円として、観客も主人公と同じように涙を流しながら見るようなシーンのはずだが、一切まったく涙の気配はなかった。様々な思いが渦巻いて涙する登場人物たちを、とても冷めた目で客観しているような気分であった。これはひとえに、作品が徹底して感情移入を拒んでいるからだろう。

 さらに、さんざ人を殺した主人公が、結局裁かれないままエンドロールを迎えている。彼はそのまま逃げおおせるのか、それとも罪を償うという方向へ行くのか。悪を駆逐するために悪人を殺すという行為は善なのか悪なのか。悪を成敗するための殺人は善なのか。いかに正義とはいえ殺すことは悪なのか。そもそも悪とはなんだ。

 主人公はラストで今の自身を「しあわせだ」と言う。しかし彼は犯した罪を償っていない。彼の「しあわせ」は身勝手なものだと言えるだろうか。彼は悪に抗い、勝ったと言えるのだろうか。じっくりと考えるべき題材を受け取った気がする。

2018年1月19日