火花
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その陰にあるもの

 大いに話題になった又吉直樹による芥川賞受賞作品の映画化なので、すでに原作を読んだという人も少なくないだろう。この映画は原作より先に見るか後に見るかで少々印象が変わるかもしれない。原作は芥川賞を取るだけあり、純文学的な作品だ。そのためストーリーらしきものは薄めである。漫才師を目指す主人公と、彼が弟子入りする少々風変わりな先輩の生きざまを楽しむような映画になっている。

 小説の方は主人公と師匠の会話を通じてテーマを描き出していくようになっていて、映画の方はその会話を大幅に抜粋して採用してある。残された会話については原作と一字一句違わないほどにそのまま使われているが、重要な要素と思われる部分がごっそり無くなっていたりもする。しかし、師匠の神谷を演じる桐谷健太が大変な存在感を発揮していて、逆に原作以上に神谷という人物の「濃さ」が増幅されている。また、原作では軽い描写に留まっている鹿谷という人物も映画では忘れられないほどのインパクトを誇っている。

 なぜ「花火」ではなく「火花」なのか。作品を読み終えて、観終えて、タイトルの意味を噛みしめる。ストーリーのカタルシスとは違う心地よい後味がそこにはある。

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ケン坊がさらに語る!WEB限定おまけコラム

この記事には映画のネタバレが少々含まれているので、まだ映画を見ていない人はその点をご承知おきの上で読んでください。

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 映像にできないものを描写する。そこに文学の喜びがある。それをあえて映像にする。そこには映画の挑戦がある。この映画と原作をどちらもじっくり楽しむと、それぞれの挑戦が見えてくる。さすがに、作者がお笑いの人だけあって、原作のほうが「笑い」の要素が強い。映画版でまっさきに感じたことは、漫才師を目指す若者たちを描いているのに、面白い漫才がほとんど登場しないことだった。もっとも、どちらかというと売れない芸人のリアルを描く意図なのであえてそうなっているのだろうが、原作にはその端々に笑える小ネタが込められている。やはり原作には文学としての強さがあり、主人公がどうして神谷に惹かれるのか、神谷の何を信じているのかといったことがよくわかる。映画の方はそういった要素を全部桐谷健太という俳優が持つパワーで引っ張る。どちらが良い悪いではなく、文学の強さと、俳優の力をそれぞれ感じる。

 本作は漫才師を目指して奮闘する若者のリアルを描いているが、主人公が壁を乗り越えて夢をかなえる、といった成功譚あるいは成長譚ではない。主人公は結局夢を叶えられず、全く違う仕事に落ち着く。お笑いに限らず芸能や芸術、スポーツなどでも同様だと思うが、一握りの成功譚の陰に、飛び散った小さな輝きが大量にある。それをもって「火花」と称したタイトルがもう秀逸なのだ。ショウビジネスの世界で僕らを楽しませているエンターテイメント。それが磨かれる過程で、淘汰されていったものたちが影響を及ぼしているという指摘。夢を目指し、叶えられなかったとして、彼らの存在は無駄ではないんだという宣言。これを慰めや同情にならないように伝えるのはとても難しい。これを衒いなく放てる人物として神谷が必要なのだろう。原作では、そこへ至るまで積み上げられた神谷という人物の色がこの難しい役割を可能にしている。映画の方はもう桐谷健太の芝居が見事にこのハードルを超えている。

 すでに原作を読んでから映画を見た人は、ぜひ見終えてからまた原作を読み返してみることをお勧めしたい。あちこち頷きながら新たに楽しむことができる。

2017年12月1日