ドリーム
©2016 Twentieth Century Fox

投げない 拗ねない 諦めない

 東西冷戦のただなか、宇宙開発華やかなりし1960年代初頭。自由の国アメリカはかくも歴然とした差別がまかり通っていたということが衝撃だった。

 本作の主人公たちは優れた能力を持つ黒人女性。男女も同権ではなく、さらに人種差別もある状況下で、黒人の女性という立場がどれほど苦しいものか、想像を超えている。その彼女たちが苦境の中でも自棄になったりせず、ひたむきに奮闘、貢献し、やがて自らの地位を自ら勝ち取っていくという物語である。そしてこれは「事実を基にした」物語なのだ。

 こうした映画が21世紀の現在にアメリカで作られる。きっとアメリカ人にとって、わずか半世紀ほど前に行われていたこの理不尽な差別は忘れてはならないものだという意識があるのだろう。ちなみに現実のNASAはこの作品に描かれているよりも少し先進的で、もう少し差別のない組織であったようだ。

 今の感覚で見るとここで行われている差別は極めて愚かなことに見える。しかし当時そのただなかにあればそれは空気のようにそこにあったものだろう。将来振り返ったとき愚かに映るようなことが今僕らの常識になっていないか、省みるべきかもしれない。

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ケン坊がさらに語る!WEB限定おまけコラム

この記事には映画のネタバレが少々含まれているので、まだ映画を見ていない人はその点をご承知おきの上で読んでください。

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 1960年代の宇宙開発競争はその陰に冷戦があり、ソ連のほうが一歩先を行っていた。先行するソ連に対するアメリカの焦りが良く描かれている。軌道を回転するスプートニクの成功に対し、「すぐに国土の真ん中に核爆弾が炸裂する」といった脅威が想定されてしまうあたり、冷戦下の緊張感が伝わってくる。今や地球の軌道上には様々な国が強力して打ち上げた衛星がいくつも回っており、僕らの生活は衛星なくしてあり得ないとも言えるような状況になっている。改めて、この60年間というのは人類にとって大きな前進の期間だったのだと思わされる。

 描かれる差別もショッキングだ。男女差別については日本にもあるし、人種差別の方も知識として知ってはいる。しかしそれが、宇宙へ人間を送り出そう、というようなことをやっている時代にこれほど公然と行われていたということを改めて突き付けられる。これが世界一の先進国で起きていたことなのだ。(実際のNASAはこの作品に描かれているよりも差別の少ない組織であったようだ)

 本作はその被差別者であった主人公たちが、国を挙げての一大事業であった宇宙開発に大きな貢献をし、意識を変えさせていくという物語である。当の本人たちは「差別をなくそう」という意識で動いていたわけではない。虐げられようとも愛国心を失わず、ひたむきに奮闘してたものが次第に認められていった様子が描かれる。

 エンドロールでは本作に登場する実在の人物たちのその後が紹介される。

 そして宇宙開発はこの後、米ソの対立が緩まって協力するという平和的な方向へ行き、米ソそれぞれの宇宙船によるドッキングが行われるなど大きな前進を見せ、国際宇宙ステーションへとつながって行く。地球の上の対立が宇宙で一つになる。

 今でもまだ人類は一つになれていないし、対立もそこらじゅうにある。戦争は無くならず、差別だって根絶されたわけではない。それでもこの作品に描かれている時代から60年弱、確実に前進していると言える気がした。

2017年10月6日