メアリと魔女の花
©「メアリと魔女の花」製作委員会

少女、飛ぶ

 楽しい。絵がざわめく。ほとばしる。とどろく。うたう。ささやく。まどろむ。冒頭からエンドマークまで、映画の隅々に至るまで、絵が生き生きと満ち渡っている。これがアニメーション。これこそがアニメーションだ。『思い出のマーニー』の米林監督による最新作はアニメの楽しさに満ち溢れた作品である。マーニーは繊細な表現で描かれた静かな作品という印象だったが、本作は末端まですべての細胞が脈動しているようなエネルギーを感じる作品だ。絵が動くことの楽しさがそこかしこに溢れている。

 米林監督の作品は極めて一人称的だ。それは登場人物の少なさ、さらにはしっかり描く人物の少なさに起因しているように思う。例えば本作には魅力的な悪役としてマダムやドクターが登場するが、その人物像はごくあっさりと会話の中に出てくるに過ぎない。メアリのボーイフレンドであるピーターですら、複雑な事情を抱えていそうなことがほんの少し語られるだけでよくわからない。ほとんどメアリしか描かれていないと言っても過言ではない。この比重のかけ方が極めて一人称的な表現につながっているように思う。メアリが出会い、感じるものを僕らもともに体験する。わくわくしないわけがない。

シネプレックス旭川ディノスシネマズ旭川イオンシネマ旭川駅前で上映中

ケン坊がさらに語る!WEB限定おまけコラム

この記事には映画のネタバレが少々含まれているので、まだ映画を見ていない人はその点をご承知おきの上で読んでください。

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 何をやってもうまくいかない。自分の容姿も好きじゃない。そんなとき、急に天才だとちやほやされ、嫌いだったくせ毛を「天才の証だ」と褒められたらどうなるだろう。嘘だろう。かつぐつもりか。そう思わなくもない。でもやはり悪い気はせず、調子に乗ってしまったりする。本作の主人公メアリはそんな人物として描かれている。どちらかというと平凡な少女がとてつもない大冒険の果てにほんの少しだけ成長する、というのは『千と千尋の神隠し』を思い出す。

 冒頭、プロローグに登場する赤毛の魔女は確かな意思を持った強い目をしている。対してメアリは赤毛こそ共通しているものの、日常のあれこれに不満を持った幼い表情で登場する。決定的に違う顔だがそこには少なからず「面影」が感じられるだろう。

 大冒険を経て迎えるラストシーンでの、メアリとシャーロット大叔母さんが通わせる会話、二人だけの秘密を持つことによって絆を深めた二人を、ごくあっさりした表現で見せている。こういうさりげないシーンがとても温かく印象に残る。本作にはピーターというボーイフレンドが登場するが、実はピーターとの関係よりも大叔母さんとの関係の方が重要なものとして描かれる。この辺も米林監督作品の特徴だと感じるが、恋愛的な要素が非常に薄く、世代を超えた血縁のようなものを大切に描いているように思う。

 本作の102分という上映時間は、この作品が子供向けのものであることを考えれば妥当だし、ダレないという意味でも良い。ただ、やはり敵となるマダムやドクター、ボーイフレンドのピーターあたりはもう少し掘り下げて描いてほしかったという気もする。全く描かれていないわけではなく、ごくあっさりとだけ描かれているのが逆にもどかしい。こうした割り切りができないために変に冗長になっている作品も数多くあり、それよりずっとスッキリして潔いのは間違いないのだが、個人的にはやはりもっとピーターを、マダムを、ドクターを知りたいと感じた。

 そして、シャーロット大叔母さんがどんな人生を歩んできたのかが最も気になる。スピンオフ作品にでもして見せてくれないかと思う反面、謎のままになっていたほうが神秘的でステキだとも思う。見終えたときこんな風にあれこれ思う映画というのは、まぎれもなく名作なのである。

2017年7月14日